日本と朝鮮は地理的に近く、2000年前から交流があります。神秘の霊薬、高麗人参が日本に渡ったのもその頃と考えられます。記録に残るものでは天平11年(739年)に渤海の文王が酷暑とともに高麗人参30斤を聖武天皇に贈ったのが最初になります。
その後も、朝鮮半島からは、ほぼ継続して日本に高麗人参が贈られてきます。足利時代、室町幕府にやってくる朝鮮の使節団は高麗人参を「国交贈品」として持ってきて、日本は「国交回礼品」として銀などで報いました。
長い歴史を通じて高麗人参は礼物、交易品として朝鮮半島から日本に入ってきますが、日本における高麗人参の栽培は徳川時代、八代将軍徳川吉宗の時代にようやく始まります。享保14年(1729年)に初めて高麗人参の栽培に成功しました。
初代将軍徳川家康の頃から日本において、高麗人参の栽培の努力がされましたが、高麗人参の種子の発芽の難しさが道を険しいものにしました。高麗人参の種は未成熟の状態ではまいただけでは芽が出ません。催芽処理を行って胚の成熟を促すことで発芽率が高まります。
八代将軍徳川吉宗の頃に、高麗人参の栽培を積極的にすすめ、享保14年(1729年)に日本での高麗人参栽培が成功しました。栽培が可能になると幕府は高麗人参の栽培方法を公開し、高麗人参の栽培を奨励しました。江戸時代後半には野州、松江、会津などが高麗人参栽培の中心地となりました。
高麗人参の成育に適する山間環境と、土質の好条件と当時志賀村の篤農家、神津孝太郎の辛苦と努力によって栽培が大きく発展し、今では全国の40%を占め海外にも輸出されています。